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    <title>Kangaroonote</title>
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    <updated>2012-02-04T13:08:45Z</updated>
    
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    <title>HTML5 と CSS3 の情報... ページの改修</title>
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    <published>2012-02-02T05:04:23Z</published>
    <updated>2012-02-04T13:08:45Z</updated>

    <summary>実制作で参照する機会も増えてきたので改修。 CSS3 のジェネレータや HTML...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
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        <category term="HTML" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="html5" label="HTML5" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>実制作で参照する機会も増えてきたので改修。</p>
<p>CSS3 のジェネレータや HTML5 のライブラリなど、よく使うものは上部に配置。英語のサイトばかりなので、探し易いように日本語で簡単な説明も追加。</p>
<p>また、ニュース等の古くなった情報はすべて削除。</p>
<p>今後はタイムリーな情報は RSS だけにして、後から参照しそうなものだけアーカイブしていこうと思う。</p>
<p><a href="/labs/HTML5-CSS3/">HTML5 と CSS3 の情報をひたすら集めて RSS で配信する</a></p>]]>
        
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    <title>相互作用性の変化</title>
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    <published>2012-01-29T13:16:22Z</published>
    <updated>2012-02-05T12:20:55Z</updated>

    <summary>じゃあ、実際に Web アプリケーションが使われるようになって、人間側で変わった...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ux" label="UX" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="/blog/2012/01/comprehensive-planning.html">じゃあ</a>、実際に Web アプリケーションが使われるようになって、人間側で変わったことをおおまかに、思いつくだけ上げてみると以下の 5 点になる。</p>
<ul>
<li>継続的な制作</li>
<li>常に最新のものを利用できる</li>
<li>制作過程の共有</li>
<li>作品の公開・販売</li>
<li>制作物のコラボレーション</li>
</ul>
<h2>継続的な制作（常に最新のものを利用できる）</h2>
<p>制作物自体が Web で共有されるので、既存のインストール型のアプリケーションや、紙や CD 等の物理媒体で販売されていた本や音楽と違い、常に新しい状態でユーザにサービスを提供でき、かつ以前の状態もバージョンによって管理できる。</p>
<p>ツール型 Web サービスでは当たり前になっているけれど、今後は本のクラウドリーディングによって、著者が発表後に推敲した作品がバージョン管理されて公開されたり、同じ曲でも別バージョンが提供される（リミックス等との定義の差が曖昧になる恐れはあるけれど）ということもあり得る。</p>
<p>これによってビジネスモデルは、これまでの売り切りモデルから月額や年額で課金し、継続的な顧客との関係を築く形へと変化している。</p>
<h2>制作過程の共有</h2>
<p>Web ではないのだけれど、分かり易い例として古くは <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ASAYAN">ASAYAN</a> が行っていたプロモーションの形がある。</p>
<p>例えば ASAYAN ではオーディションの予選からデビューまでをテレビで放送することによって、歌手の成長の過程を視聴者と共有することで、その歌手への思い入れが強いファンを産み出した。</p>
<p>また、別のコンセプトとしては、制作過程の未完成の商品をあえて公開し、広く意見を求めたりすることで、より市場の要求に即した商品をつくり出すための情報収集を行うという形もある。</p>
<p>Web でそれらを行えば、インタラクティブな共有が可能になる。制作そのものに参加させるのは現実的ではないにしても、未完成の製品や舞台裏等の公開は、親近感を産み易い。</p>
<h2>作品の公開・販売</h2>
<p>iTunes Store や Amazon ではアマチュアの本や音楽が買える。物理的な商品も Yahoo! オークションで販売が可能になっている。</p>
<p>実店舗では市場が小さ過ぎて置いてもらえないような商品も、強力な販売チャネルを利用できようになった。</p>
<h2>制作物のコラボレーション</h2>
<p>クリエータ同士のコラボレーションが容易になった。今では Web を介してヨーロッパと中国のクリエータが作品づくりをし、それを同じプラットフォームで販売できる。</p>
<h2>インタラクション</h2>
<p>人間とアプリケーション、もしくはアプリケーションを介した人間同士の対話の変化は凄まじいものがあるなと思う。その変化はテクノロジの変化よりも、むしろテクノロジに対するリテラシや、耐性が産まれることによってひとの心に産まれる変化の度合いのほうが大きいように思う。</p>]]>
        
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    <title>コンプリヘンシブプランニング</title>
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    <published>2012-01-21T12:05:32Z</published>
    <updated>2012-01-29T14:19:17Z</updated>

    <summary>アプリケーション間の対話といえば、真っ先に思いつくのはマッシュアップ。今では当た...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="api" label="API" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="/blog/2012/01/google-plus.html">アプリケーション間の対話</a>といえば、真っ先に思いつくのはマッシュアップ。今では当たり前のように行われているけれど、初めて見た時は衝撃的だった。</p>
<p>マッシュアップとは今更説明するまでもなく、<q cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97_(Web%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0)">複数の Web サービスの API を組み合わせ、あたかも一つの Web サービスのようにする機能のこと</q>。</p>
<p>これまでたくさんのマッシュアップが行われているし、それを促進するためのアワードも開かれたりしている。</p>
<p>実際ぼくもそういったものに応募したこともあるし、応募しようと思ってやめたこともある。</p>
<p>応募しようと思ってやめたのは、何も面倒だったというわけじゃない。ただ、ぼくの求めている機能が提供されていなかったから。</p>
<p>その制限の中で行うのがマッシュアップだといわれれば元も子もないけれど、計画しかけていたものをつくるのが無理とわかった時点で、気持ちが萎えてしまったのだから仕方がない。</p>
<p>けれど、もしこれが API を提供する開発側と協議の上、どんなリソースをどんな語彙で受け取るのかを決めることができればどうだろう。そうすれば汎用性を考慮してつくられた API よりも、もっと強力なアプリケーションをつくることができるかもしれない。</p>
<p>この API の相互作用を事前に計画することを、仮にコンプリヘンシブプランニング（総合計画）と呼んでみることにする。</p>
<p>けれどそれはあまり意味がないとも考えられる。個々のアプリケーションは部分であるよりも全体であるべきで、マッシュアップの成果物は別として、個々の API の依存関係は緩く、汎用性の高い、自己完結的なものでなければ利用者はかえって不便かもしれないし、他の API ありきで設計された API は相対的にリスクが高くなる。</p>
<p>しかし、もし仮に全てのアプリケーションを同一の組織が開発し、そもそも始めからそういった大きな目的のための部分として設計される API であれば、それはただの杞憂となる。</p>
<p>もちろん、別に一社でつくる事にこだわる必要はない。複数の企業が協同しても変わらないが、それは今は未だ現実的ではないような気がする。</p>
<p>ではコンプリヘンシブプランニングとマッシュアップは何がどう違うのだろう。</p>
<p>マッシュアップはオープンだけれど制限は厳しい。望むものではなく、提供される範囲内でデザインする必要がある。開発者は語源の通り DJ のように思考する。</p>
<p>一方コンプリヘンシブプランニングはクローズドだけれど事前の協議によって欲しい機能が手に入る。個々のアプリケーションとしての独立性は担保しながら、同時にひとつのアプリケーションを構成する API をデザインする必要がある。こちらの開発者は DJ ではなくオーケストラに近い。リミックスではなく、緻密に設計された交響曲と呼ぶのが相応しい。</p>
<p>そんなわけで Web にも高度に連携するアプリケーションスイートが現れる日は近い。将来的には複数のリソースから複合アプリケーションを設計する Web アプリケーションコーディネータみたいな職能も必要とされる時代がくるのかもしれない。</p>
<p>じゃあ、<a href="/blog/2012/01/interaction.html">人間の側はどう変化しているのだろう</a>か。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Google+</title>
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    <published>2012-01-15T13:29:26Z</published>
    <updated>2012-01-24T01:58:18Z</updated>

    <summary>Google+ がつくりだそうとしているのは、スケール感なのだと思う。 そんなわ...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="google" label="Google" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>Google+ がつくりだそうとしているのは、スケール感なのだと思う。</p>
<p>そんなわけで、前回から続いて、<a href="/blog/2012/01/application-platform.html">アプリケーションプラットフォーム</a>としての Web について考えてみる。</p>
<p>Web アプリケーションは相互に対話することでその価値を高め、存在意義が産まれる。</p>
<p>Google には現在、様々なアプリケーションがある。どれも高品質で使い易く、何よりほとんどのサービスが、贅沢をいわなければ無料で利用できる。</p>
<p>けれど、これらのアプリケーションは、相互に連携が見られない。もしくは一部連携している部分はあるのかもしれないが、それらが明確になっていないように感じられてしまう。</p>
<p>くどいようだが、Web アプリケーションは相互に対話することでその価値を高める。</p>
<p>そして Google には高品質なアプリケーションが多数あるが、これらは相互に連携されるようにつくられていない。</p>
<p>つまり、相互に対話することで飛躍的に価値の高まる商品を持ちながら、それができてないジレンマを解消するのが Google+ プロジェクトということになる。</p>
<p class="b-photo"><img alt="Google+ の連携の概念図" src="/blog/img/google_plus.png" /></p>
<p>当初ぼくは Google+ を Facebook もどきだと思っていた。だから AKB48 を広告に起用した時も Google+ 全体の中で AKB48 が呼び込む新規のユーザの数が微々たるものであったとしても、それはさておきコンセプトとして Google は特有の文化を育てる気がないのだろうと思った。</p>
<p>けれどそれは浅はかな考えでしかなかったようで Google 自身が明言しているように <q>Google+ はサービスではなくプロジェクト</q>だ。</p>
<p>Google+ は道になる。それは徒歩が都市のスケールを規定するのに似ている。歩いていける場所、距離、今居る場所から目的地までにかかる時間、物理的な連続性、景観としての同一性。</p>
<p>徒歩によるスケール感とは単にその物理的な距離によってのみ規定されるものではない。商業地域と住宅地域の境界は、徒歩であるなら視覚等で得られる情報の変化によって明確になるはずだ。</p>
<p>Google+ は Google の世界を徒歩の感覚で繋ぐためのハブになり、アプリケーション間の対話の仲介者になるのだろう。そうなることで初めて今までばらばらだった Google ワールドにスケール感が産まれる。</p>
<p>これで Google ワールドはさらに強固なものになる。だが当然、それだけでは不健全だ。</p>
<p>Google は自社のアプリケーション間で連携を行い、さらに強力なサービスを展開できる。Google 自身ももちろん他社のアプリケーションとの対話を推進しているが、小さなサービス、アプリケーションは Google に対抗するため、よりいっそう豊かな対話を行っていく必要がある。</p>
<p>他社のサービスで自己を拡張するためのアプリケーション間の対話。これが Web アプリケーションの醍醐味じゃないだろうか。</p>
<p>では、これまでとこれからの<a href="/blog/2012/01/comprehensive-planning.html">対話にはどのような形が考えられるのか</a>。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>眼鏡と無職</title>
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    <published>2012-01-12T07:20:36Z</published>
    <updated>2012-01-15T13:45:27Z</updated>

    <summary>あまりパーソナルなことを書かないブログなので、パーソナルなログは珍しいけれど、少...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="日記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>あまりパーソナルなことを書かないブログなので、パーソナルなログは珍しいけれど、少し環境の変化があったので書いてみる。</p>
<p>変化というのは、なんやかんやで去年いっぱいで会社を辞めて、今月から無職になった事。</p>
<p>去年の十二月くらいからぶらぶらしていて、ぶらぶらし過ぎて風邪をひき、喘息がでてほぼ二日間眠れなかったあげく、一週間ほど回復のために費やさざるを得なくなり、これはもう莫迦らしいと思って煙草を喫わなくなった。</p>
<p>生活の習慣が変化したこともあってか、禁煙したというより、ただ喫わないという状態がデフォルトになったので、喫いたいとも最近は思わない。</p>
<p>風邪が治って、たらたらしていたら、不意に眼鏡のレンズが黄色く変色していることに気付き、よく見るとフレームもメッキが剥がれている。思えば二十五六の頃に買ったきりなので、もう五六年経つ。傷も目立つので、さすがに買い替えようと思いたち、眼鏡屋へ向かう。</p>
<p>ところが最近の眼鏡のフレームというのは、デザインされているのであまり好いものがない。</p>
<p>レンズ付きで一万円あればおつりがくるのだけれど、どれもこれも縁が厚く、奇を衒っている割りには似たようなものばかり。当然そういった形の物が売れるから置いているのだろうけれど、そういえばそんな眼鏡をかけたひとをよく見かける。</p>
<p>これは行く店を間違えたなと、店を変えることにする。</p>
<p>あまり高いものを買うつもりも無かったのだけれど、ごく普通の当たり前の形の眼鏡フレームというのを、最近ではそれなりの品質のものをつくっているメーカーしかつくらないようで、仕方なく四五万の眼鏡を買った。以前使っていたものと形はほとんど変わらないが、素材が違うし、そうすれば当然テクスチャも違う。</p>
<p class="b-photo"><img src="http://vosegus.org/blog/img/megane.jpg" alt="眼鏡の写真"  /></p>
<p>生活のリズムが壊れるのを恐れていたけれど、案外普通で、朝八時には起きて十二時には寝るという規則正しい生活を送れている。というものどこかに鳩の巣があるらしく、今月の始めに子鳩が産まれ、ピーピーと五月蝿い。起きている間はさほど気にならないが、朝に鳴かれると目を覚まさずにはいられない。</p>
<p>ベランダにやってくれば適当に追い払うが、さすがに傷つけるわけにはいかないので、強い男になろうと思う。</p>
<p>暇なのでシンプルな Web アプリをつくっているのだけれど、いろいろな発見があって楽しい。</p>
<p>仕事はぼちぼち、探し中。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アプリケーションプラットフォーム</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2012/01/application-platform.html" />
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    <published>2012-01-08T07:36:05Z</published>
    <updated>2012-01-15T13:33:29Z</updated>

    <summary>Web は元来簡単な文書の共有システムとして設計された。公開する文書はデスクトッ...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>Web は元来簡単な文書の共有システムとして設計された。公開する文書はデスクトップで作成されていたのだけれど、もっと速く、手軽に、誰もが参加できる形での文書共有も求められるようになっていく。</p>
<p>そうであるならいっそ、情報の入力から文書の作成、公開まで Web だけで完結出来れば尚よろしい。</p>
<p>そうすればややこしい専門知識がなくても誰もが気軽に参加できる。そうなれば Web に蓄積される情報も増える。そうすれば Web は活性化し、それらが呼び込む情報は指数関数的に増えていく。そうなることで Web を活用する有用性も、それと比例して増してゆく。現在主流の <a href="/blog/2011/12/now.html">Twitter 等のソーシャルネットワークサービス</a>などは、このシステムなしには産まれ得なかった。</p>
<h2>Web アプリケーションのデスクトップアプリケーションに対するアドバンテージ</h2>
<p>元来アプリケーションはデスクトップで使用するものだったし、今でもデスクトップが主流であることに変わりない。</p>
<p>Web 上でワンストップで情報を公開できる仕組みが進化していくのは当然の事として、なぜ元々 Web での一般公開を目的としていない情報までも Web アプリケーションを利用して作成する流れが産まれているのだろうか。</p>
<p>そこには当然 Web を利用することでしか得られないメリットがあり、それは以下のようなものが考えられる。</p>
<ul>
<li>遠距離間でリアルタイムでコミュニケーションを行いながらの共同作業</li>
<li>シーンを問わないファイルへのアクセス、（限定されたメンバーへの）公開</li>
<li>アプリケーション間での通信</li>
</ul>
<p>これらはデスクトップアプリでも可能な事もある。けれどデスクトップアプリでこれらを行う場合にも、裏では HTTP 通信が行われる事が多く、そうであれば Web サーバが介在している。つまり、ユーザーインターフェースはデスクトップであっても、プログラムインターフェースでは Web を利用しているのだから Web アプリケーションという仕組みなしには成立しないということになる。</p>
<h3>遠距離間でリアルタイムでコミュニケーションを行いながらの共同作業</h3>
<p>単純に Web 会議と言ったほうが通りがいいのかもしれない。コンピュータに搭載されたマイクとカメラを使い、音声と映像をやり取りしながら、一つの文書ファイル等を画面上で共有し、相互にリアルタイムで情報交換を行いながらの編集を行う。デスクトップアプリだけでは不可能だったコラボレーションが可能になり、物理的な移動に伴う時間的、金銭的コストも削減できる。</p>
<h3>シーンを問わないファイルへのアクセス、（限定されたメンバーへの）公開</h3>
<p>これもクラウドといったほうが話が早いこともある。いつでもどこでも Web に繋がる環境があれば同じファイルにアクセス可能で、編集した場合にも結果は瞬時に反映される。データを一元管理することによって重複作業に伴うコスト削減、人為的ミスの防止になる。また、同じファイルを複数のメンバーで共有すれば、編集結果も瞬時に共有できるので、情報共有のタイムラグに伴う混乱を防ぐという効果もある。</p>
<h3>アプリケーション間での通信</h3>
<p>極単純な例として、以前ぼくがつくった「<a href="/JSDepository/api/google-maps.html">Google Maps JavaScript API V3 をつかった飲食店検索インターフェース</a>」で説明してみる。</p>
<p>これは Google Maps API  とリクルートのグルメサーチ API を利用している。</p>
<p>処理の流れとしては</p>
<ol>
<li>飲食店検索インターフェース（以下検索アプリ）から住所の情報を Google Maps API へ送信</li>
<li>Google Maps API が住所の情報から緯度経度を計算し、検索アプリに返す</li>
<li>検索アプリは受け取った緯度経度の情報をグルメサーチ API に送信</li>
<li>グルメサーチ API は緯度経度の情報をもとに周辺の店舗情報を検索し、結果を検索アプリに返す</li>
<li>検索アプリはグルメサーチ API の検索結果を Google Maps API に送信</li>
<li>Google Maps API は店舗情報から地図の情報を作成し、アプリに返す</li>
<li>検索アプリは Google Maps API の計算結果をブラウザ上にレンダリング</li>
</ol>
<p>という流れに成る。</p>
<p>複数のアプリケーションの機能を相互に利用することで、通常いちから作成した場合には考えられないほど、圧倒的低コストでのアプリケーション開発が可能になる。</p>
<h2>Web アプリケーションの可能性</h2>
<p>デスクトップアプリケーションだけでは不可能だった様々な事が Web アプリケーションの利用で可能になる。当然リスクもあるけれど、それを補ってなお有り余る可能性に満ちている。</p>
<p>最近では HTML5 やその周辺の新たな技術で Web はアプリケーションプラットフォームになる、といわれている。けれど HTML5 は変化の基盤ではあるけれど、当然それだけで何かが変わる訳じゃあない。また、それらは新しいコンセプトというよりも、既に起こっている変化に対応する部分の方が多い。</p>
<p>それに、今でも Web はアプリケーションプラットフォームという一面を持っている。これが新技術によってさらに進化するのであれば、それはどのような進化だろうか。</p>
<p>また、去年公開された <a href="/blog/2012/01/google-plus.html">Google+ から予測する Google のアプリケーション群の利用の変化</a>や OAuth によるアプリケーションをまたいだ個人の識別。これらによって起こる変化はどのようなものが考えられるだろう。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>別の場所にある今</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/12/now.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.427</id>

    <published>2011-12-25T12:55:59Z</published>
    <updated>2012-01-08T10:00:54Z</updated>

    <summary>そんなわけで Facebook が実社会とシンクロした Web だとしたら、もう...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="social" label="Social" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>そんなわけで <a href="/blog/2011/12/social-network-service.html">Facebook が実社会とシンクロした Web</a> だとしたら、もうひとつの世界的 SNS である Twitter はどうだろうか。</p>
<p>Twitter と Facebook の大きな違いは、時間の流れだといえる。かたや Twitter は刹那的な気分をのせる。こなた Facebook は体験の断片であることが多い。</p>
<p>例えば最近 Facebook にもタイムラインという概念ができたようだけれど、これはどうやらそのひとの人生の軌跡であるようで、同じ呼称ではあるけれど Twitter のそれとは随分と違うらしい。同じ名前のものが違う概念をもつということは、その文化やアーキテクチャを理解する助けになる。</p>
<p>Twitter のタイムラインは流れていくもので、刹那的に消費される情報のように思う。一方 Facebook は、生活の断片が蓄積されたものをタイムラインと呼ぶようだ。</p>
<p>簡潔に表現すれば Twitter は瞬間を Web を通じて表象する。</p>
<p>今までは知り得なかった他人の「今」や、過去の自分の「今」を追体験する。</p>
<p>「今」は必ずしも現在である必要はない。「過去」が Twitter のタイムライン上では「今」になる。それは Twitter 特有の感覚であるようで、これはぼくの主観でしかないのかもしれないけれど、数分前に起こった「過去」の出来事をツイートすることは「過去」に起こった「今」をつぶやいているという妙な感覚がある。</p>
<h2>リアルの瞬間とシンクロしたバーチャル</h2>
<p>また、 Twitter は匿名が可能という意味でバーチャルな SNS でもある。</p>
<p>けれど Twitter のタイムラインにのるのは「リアル」な「今」でもある。</p>
<p>おもしろいのはこの部分で、<a href="/blog/2011/12/social-network-service.html">前回</a> &quot;もし匿名を許容すれば、実社会とのシンクロは偶然でしかなくなる&quot; といったけれど、「今」をつぶやいているという前提条件が満たされれば、それによってリアルとシンクロすることは必然になる。</p>
<p>これは新しいアーキテクチャによって物理法則が覆されたようで、すごく面白いと思う。</p>
<p>個人的に Facebook はなにか歴史の延長線上にあるように思っていて、それに比べると Twitter は歴史の中に存在しなかった全く新しい別の空間であるような気がしている。時間とか空間と文脈とか言葉とか、そういうものに新しい感覚が産まれているような気がするので、やっていて楽しいし、正直よくわからない。</p>
<p>次は、<a href="/blog/2012/01/application-platform.html">アプリケーションプラットフォーム化する Web</a> というのについて考えてみる。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ソーシャルネットワークシステム</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/12/social-network-service.html" />
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    <published>2011-12-16T05:34:24Z</published>
    <updated>2012-01-28T11:05:23Z</updated>

    <summary>ソーシャル Web の一部は現在 SNS という形で実現されている。 現在の S...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="social" label="Social" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="/blog/2011/12/social-web.html">ソーシャル Web</a> の一部は現在 SNS という形で実現されている。</p>
<p>現在の SNS にはふたつの種類がある。ひとつはバーチャルな社会を Web 上に展開するもの。もうひとつは実世界の社会の映し鏡としての SNS である。</p>
<p>セカンドライフや mixi 等は前者になり Facebook は後者になる。</p>
<p>どちらが優れているかというはなしではなく、それはただコンセプトの違いでしかない。</p>
<h2>バーチャルな SNS</h2>
<p>バーチャルな SNS は実世界とは別次元にある。それはゲームのようなもので、その空間に入れば、実空間とは別の誰かとしての振る舞いを許される。小説や映画のフィクションの中に入り込み、別人格としてロールプレイング（役割を演じる）をすることになる。</p>
<p>実社会でもロールプレイングは社会から望まれるのだけれど、バーチャルでのロール（役割）は自分が望んだもの、例えば魔法使いにでも異性にでも自由な役割になれるという意味で、それは現実の自分とは全く異なる存在としてのロールであるから、実社会にシンクロする必要はなく、また演者もそれを望んではいない。</p>
<h2>映し鏡としての SNS</h2>
<p> これに対して映し鏡としての SNS は実社会の延長であり、実社会の一部となる。ここでの行いは実社会に対して作用することを前提としての振る舞いになる。実社会の延長であるからこそ、ここでは実名がアーキテクチャの重要な基盤になる。もし匿名を許容すれば、実社会とのシンクロは偶然でしかなくなる。</p>
<p>今回は実社会と Web がどう重なっていき、それが起こす変化について考えているので、映し鏡である Facebook を追っていくことにする。</p>
<h2>Facebook</h2>
<p>Facebook と他のサービスとの明確な差は、正にリアルをアーキテクチャに組み込んでいることにある。</p>
<p>つまり Facebook がリアルとのシンクロ率を高めるほど、リアルは Facebook を欲するようになる。実社会にたいして能動的に作用するアーキテクチャであり、ログが可能で、趣向を分析でき、時間を気にする必要もない。</p>
<p>やがてリアルではコストパフォーマンスの面から出来なかった事も可能になる。ここでは国民の意識調査も、母集団の大多数に対して低コストでおこなえるのである。</p>
<p>繰り返しになるようだが Facebook はリアルの人格と Web 上の人格を一致し、リアルと Web という異なる次元でアイデンティティを繋ぐ仕組みを提供している企業である。そしてそれが他社に対する圧倒的なアドバンテージになっている。リアルの一部であればこそ革命の一助すら可能なのだ。</p>
<p>ここでは、超民主制や、世界市民という概念すら、当たり前のものとして存在し得る可能性も秘めている。</p>
<p>まあしかし、これ以上は SF じみてくるので、次はもうひとつの SNS である <a href="/blog/2011/12/now.html">Twitter について考えてみる</a>。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ソーシャル Web</title>
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    <published>2011-12-11T05:51:07Z</published>
    <updated>2011-12-16T07:06:49Z</updated>

    <summary>では、そのソーシャルに必要なものは何だろうか。 例えば鈴木さんというひとがいる。...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
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    <category term="social" label="Social" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>では、<a href="/blog/2011/12/social.html">そのソーシャル</a>に必要なものは何だろうか。</p>
<p>例えば鈴木さんというひとがいる。鈴木さんが鈴木さんあるためには、その関係者や、社会全体が、他ではない鈴木さんという識別をする必要がある。</p>
<p>これはアイデンティティという言葉で表現してもかまわない。自己同一性は自分だけのものでなく、他人の自己同一性も保証されなければ成立しない。なぜなら他の誰でもない自己の集合があって、社会というメタ空間は存在し得るからだ。</p>
<p>例えば、昨日友人になった鈴木さんと山田さんは、次の日からも、自分たちが友人であるという認識を持ち続けていなければ、その関係はなかったことになる。</p>
<p>もし、明日目覚めて誰も自分のことを覚えていなければ、自分という人間は社会的には始めから存在しなかったのと同じことになる。</p>
<p>以前大きな問題になった年金の消失などは、国家の認識する社会において個人の一部を消失したのだから、単に銭金だけの問題ではなく、国家の社会システムの根幹を揺るがしていると言える。</p>
<p>ややこしいのでまとめると、自分が自分であるということは、自分がそう思っていても社会的には成立しない。それは自分以外のひとたちが、あなたをあなただと認めることで初めて成立している。ということになる。</p>
<h2>Web におけるアイデンティティ</h2>
<p>もともと Web にはアイデンティティという概念は存在しなかった。</p>
<p>それは HTTP がステートレスなプロトコルだということで証明できる。</p>
<p>ステートレスだということは、最初の HTTP リクエストの後、もう一度同じエージェントが HTTP リクエストを送ったとしても、それを同じエージェントからのリクエストだということは感知しないし、証明もできないということだ。</p>
<p>この問題の一部を解決したのが Cookie である。</p>
<p>Cookie によって Web に初めて原始的なアイデンィティが産まれた。</p>
<p>原始的だというのは、クロスドメインでの証明ができないためだ。セキュリティの問題もあるため、クロスドメインでの Cookie の受け渡しは行われるべきではないけれど、これでは「オラの村ではオラだけど、都会さでたらオラでなくなる」という状態になる。</p>
<p>細かい技術的な話はしないけれど、これらの問題の一部をさらに解決する手段はあり、例えば Facebook でログインしていれば、他のドメインのサイトでも Facebook アカウントでコメントができたり、ゲームに参加したりということが現在では可能になっている。</p>
<p>Web におけるアイデンティティは、その存在の必要性そのものが議論の対象なので、ここではこれ以上突っ込みたくないのでさておき、現在ではひとつのドメイン空間だけでなく Web 全体を通じたアイデンティティという概念が産まれつつある。</p>
<p>そしてこの Web 全体を通じたアイデンティティの誕生こそが、ソーシャル Web には欠かせないものだ。</p>
<p>なぜならこれまで書いてきたとおり、ソーシャルには個人（中世には Web はなかったので、個人という概念の時代性は無視する）の誕生が不可欠だからだ。そして個人の誕生は個人を識別できるアーキテクチャがなければ始まらない。</p>
<p>これがつまりアーキテクチャの大きな変化といえる。それまで認識しなかった個人を認識するアーキテクチャが Web に組み込まれつつある。これはよいこともあるし、勿論わるいこともある。けれど善悪など、ここではあまり意味が無いのでその判断はしない。</p>
<h2>新しいアーキテクチャ、新しいコンセプト</h2>
<p>新しいアーキテクチャは新しい知覚をもたらし、無数の新しいコンセプトを産み出す。そしてそれは環世界の拡大による、世界の大規模な再構築を起こす。</p>
<p>断っておくが現実の世界は何も変化しない。変わるのはあくまで、ひとの認識する世界の形でしかない。</p>
<p>細菌が発見されようとされまいと、細菌はずっとそこにあって、これからもある。けれどそれを発見したひとの世界では、ワクチンや予防注射などで、病気の一部が解決される。</p>
<p>つまり、リアルもバーチャルも、それらを分けるのは無意味だといいたい。</p>
<p>なぜならひとはひとの認識できる環世界でしか生きられない。バーチャルの体験で覚醒することもあれば、自殺することもある。何がリアルで何がバーチャルかなどは、個人の捉え方でしかない。先ほど例にあげた細菌など、原始時代の人類にとってはバーチャルなものだろう。文学作品で過去に自殺者が多発したという歴史もある。</p>
<p>となるとどうだろう、もし Web 上にアイデンティティが確立されれば、それはつまり Web のリアル化になりはしないだろうか。</p>
<p>Web がリアルを浸食し始めているのは事実だし、それはこれから益々進んでいくだろう。ソーシャル Web はその入り口だといってもいい。なら、<a href="/blog/2011/12/social-network-service.html">ソーシャル Web をもっと掘り下げる必要がある</a>。無論、これは善悪の問題ではないし、だから Web を禁じるというのは、馬鹿げている。</p>]]>
        
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    <title>ソーシャル</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/12/social.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.424</id>

    <published>2011-12-08T13:55:18Z</published>
    <updated>2011-12-11T07:31:50Z</updated>

    <summary>ソーシャル Web はソーシャルメディア。ソーシャル化に乗り遅れた企業は滅ぶとい...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="social" label="Social" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>ソーシャル Web はソーシャルメディア。ソーシャル化に乗り遅れた企業は滅ぶという言説まででているのだけれど、ちょっと待ってほしい。企業は元来社会的にしか存在し得ないものだし、他のあらゆるメディア、テレビもラジオも新聞も雑誌も、そしてもちろん Web も、元々ソーシャルをコンセプトの中核に置いて出来上がっている。なによりソーシャルでないメディアなんて、メディアとは呼べやしない。</p>
<p>ではなぜ今になってまたソーシャルが騒がれているのだろうか。そこにはきっと、新しいソーシャルのコンセプトと、前回書いたような意味での<a href="/blog/2011/12/architecture.html">アーキテクチャ</a>の変化があるに相違ない。</p>
<h2>ソーシャルとはどういうことか</h2>
<p>ソーシャル、つまり社会とは何か。この認識なしにソーシャルは語れないはずだ。</p>
<p>ソーシャルとは平たくいうと、人間関係の関係と関係により変化するものを一般化した抽象概念だと思う。</p>
<p>例えば世界に二人の人間しかいなかったとする。この二人だけの関係は社会的な関係と呼ぶには心もとない。</p>
<p>そこに双方の両親や友人が存在して、その二人の関係が、二人以外の誰かの言動によって変化する可能性をもった時、この関係は社会的な関係と呼ぶに十分なものになる。</p>
<p>また、ひとは独りでは生きていけないという。これはもちろん嘘だ。自然の恩恵と強靭な肉体、それに明晰な頭脳があれば、獣に喰われたり毒をくらって死ぬことはあるけれど、運がよければ十分生きていける。</p>
<p>けれど、ひとは独りでは&quot;人としては&quot;生きていけない。</p>
<p>つまりひとは、他人を通じて自己を発見し、再発見し続けることで、初めて&quot;人間&quot;になる。</p>
<p>社会がなければひとは獣と変わらない。内省することもなく、ただ喰って寝て、うんこをして生きるだけだ。</p>
<p>これはこれで十分な生だけれど、そこに社会という他人との関係の中での自己を見つける事ができれば、人生はもっと豊かで楽しく、そして悲惨なものになる。</p>
<p>社会とは関係の関係と結果で、過程でもある。</p>
<p>つまり Web はそこに新しい関係の可能性。干渉や相互作用の可能性を産み出した。これがつまり、今流行のソーシャル Web になる。</p>
<p>ではこの新しい関係の可能性、それは一体何だろうか。そしてそこには<a href="/blog/2011/12/social-web.html">どんなアーキテクチャがあり、何をもって新しいコンセプトと呼ぶべきなのだろうか</a>。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>アーキテクチャ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/12/architecture.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.423</id>

    <published>2011-12-01T13:52:50Z</published>
    <updated>2012-02-05T11:39:57Z</updated>

    <summary>そんなわけで Web はその利用環境も利用のされ方も変わっていて、その変化は今後...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="design" label="Design" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="/blog/2011/11/ubiquitous.html">そんなわけで</a> Web はその利用環境も利用のされ方も変わっていて、その変化は今後も益々加速していく。</p>
<p>ひとが多く関わる程、必ずトラブルは増加する。経済活動が拡大していけば、法による規制、合意等も必要不可欠なものになっていく。それは消費者の保護でもあり、同時に、保護は監視・管理の強化でもある。</p>
<p>利用環境、利用方法の変化。そして法による保護・監視。これらは、アーキテクチャの変化によって起こり、促進される。</p>
<p>しかしここまで普及したのだから今更 TCP/IP や HTTP 等が置き換わるのは考えにくい。また、これらはアーキテクチャというよりも、むしろ元素に近い。これらは別の何かと組み合わせることで、より大きな自由を手にする事も、レイヤーを重ねたり、フィルタを通すことで、より完全に近い保護や監視も可能にする。</p>
<p>ではそもそもアーキテクチャとは何なのか。そしてアーキテクチャの変化とは何なのか。</p>
<h2>アーキテクチャの日本語訳</h2>
<p>アーキテクチャは日本語では設計思想と訳されることが多い。これはものをつくる人間にはなんとなく想像し易い翻訳だけれど、このなんとなくというのは非常に危険を伴う。</p>
<p>なんとなく想像しているだけのものは共有しているとは言い難い。お互いの概念のズレは、このなんとなくという段階で話を掘り下げていく程、益々広がっていく。</p>
<p>では、アーキテクチャは何と翻訳されるべきなのだろう。ローレンス・レッシグの「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4798115002/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;tag=yagatekanashi-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4798115002">CODE VERSION 2.0</a>」に書いてある内容をぼくなりに解釈すると、アーキテクチャは&quot;設計空間の物理法則&quot;となる。</p>
<p>リアルには重力がある。壁をすり抜けることはできないが、そこにドアがあればそれを開いて壁の一部を通り抜けることができる。</p>
<p>物理法則とはその世界を支配し、その世界の住人はそれに従うことで生きている。というより、むしろその法則があるからこそ存在できているといっていい。もし地球から重力が消えれば、人間は宇宙の藻屑となって死んでしまう。</p>
<p>つまりアーキテクチャとは、そこに存在するものの在り方それ自体を定義している。</p>
<p>以前、「アーキテクチャから逸脱したものが組み込まれれば、そこからその世界は崩壊していく」といっていたひとがいた。これはこの定義に依れば当たり前のことのように納得できる。</p>
<p>アーキテクチャは物理法則なのだから、その場しのぎの抜け道をつくったところで、世界は気づくと気づかないとに関わらず、いずれ壊れてしまうか、そこで生きるものは全て死に絶え、やがては消えてなくなってしまう。</p>
<h2>アーキテクチャの変化</h2>
<p>リアルの物理法則は変化しない。それは完全にではないのかもしれないが、せいぜい人の一生程度の時間では何も変わらないだろう。</p>
<p> だが Web のアーキテクチャは変化し続けている。</p>
<p>今話題の HTML5 などは、正にアーキテクチャの変化といえる。サイバースペースでは、アーキテクチャを変化させれば、宇宙を飛ぶことも、地中に潜る事も容易に可能になる。</p>
<p>何が見えて何が見えないか、触れられるものも、聞こえるものも、全てアーキテクチャによって決定されている。</p>
<p>現在の変化をひとつとりあげるなら、それは位置情報という文脈が加わったことだろう。</p>
<p>今、自分が地球上のどこにいるのかを、何の気なく手のひらで確認できる。</p>
<p>リアルの地理情報は Web 上にマッピングされ、どこに何があるのか、その一部を Web は知っている。エージェントに質問をなげかければ、瞬時に位置文脈を理解した返答がかえってくる。</p>
<p>つまり現代人は、宇宙からの目を、手のひらに持っているということになる。これは人類の肉体だけでは持ち得なかった、環世界の拡大といえる。</p>
<p>古くからひとは道具によってリアルのアーキテクチャの一部を操作してきた。だがそれは作用空間に対するものが主で、知覚に対するものは、眼鏡等、五感の拡張、補完というものだった。</p>
<p>コンピュータ、そして Web は、そこに別の可能性、全く未知の知覚空間をつくりだそうとしている。</p>
<p>肉体がある以上知覚には限界がある。けれどマルチモーダルによる全く新しい第六、第七の知覚空間を擬似的つくり出す可能性は既に模索され、徐々にその一部が一般のぼくらにも触れられるようになりつつある。</p>
<p>アーキテクチャの変化によって、なにができるのかではなく、なにが起きているのかを常に考えておかなければ、その変化を理解することはできない。</p>
<p>それが目にはドットの集まりでも、例えビットの集合であったとして、そこには別の世界があり、アーキテクチャがある。いってしまえばリアルなど、人間とは別の次元の知覚や知性を持った生物にとっては、原子の散在した歪な空間でしかないのかもしれないのだから。</p>
<p>今では Web のアーキテクチャの変化は社会に変化をもたらし始めた。その<a href="/blog/2011/12/social.html">社会の変化とはどういったものだろうか</a>。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>持ち運ぶ Web から、いつもそこにある Web へ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/11/ubiquitous.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.422</id>

    <published>2011-11-25T15:37:00Z</published>
    <updated>2011-12-03T11:17:19Z</updated>

    <summary>前回は Web に生息するプレイヤについて考えて、前々回は過去を振り返ってみた。...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ux" label="UX" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>前回は <a href="/blog/2011/11/players.html">Web に生息するプレイヤについて考え</a>て、前々回は<a href="/blog/2011/11/umwelt-of-the-web.html">過去を振り返って</a>みた。今回は現在の Web がどういったものなのかを考えてみる。</p>
<p>現在の Web の大きな変化は、やはりモバイル機器の高性能化とクラウドコンピューティングの普及による利用の変化につきる。</p>
<p>これまでも日本では比較的高機能なケータイが普及していたので、街中などで Web にアクセスする機会は多かったのだけれど、それはデスクトップ（ノート）コンピュータに比べると非常に限られた機能、情報だった。実際それは一部を切り取って持ち運んでいた、という感覚に近かったと思う。</p>
<p>スマートフォンのもたらした大きな変化のひとつは Web という別次元を、現実空間に重ねたことにある。</p>
<p>それは単に AR による現実拡張のことではなく、いつ、どこにいても、瞬時に Web 空間に繋がることができるツールをひとびとが手に入れることで Web がもうひとつの世界になり、次元の異なる宇宙を瞬時に行き来できるようになったといっても大仰ではない。</p>
<p>つまり Web は「持ち運ぶ」ものから「いつもそこにあるもの」に変化しつつある。これはまさにユビキタス時代の入口で、未来像として示されていたビジョンが、いつの間にか現実になっていて、その変化に気づかないほど当たり前になっている状況がもう目の前にあるのだから、「ぼくの夢見た二十一世紀っぽくない」と嘆いていた自分が随分と間抜けに思えてくるほどだ。</p>
<p>ではこの利用環境の変化は何を変えたのだろうか。</p>
<p>変化したものは無数にある。より高度なリアルタイムでの距離を意識しないコミュニケーション。未知の情報へ一瞬でアクセスできるということは、物を買うというプロセスさえも別の体験へと変化させた。</p>
<p>例えば友人との待ち合わせを未知の場所で行い迷子になっている場合、これまでは音声だけのコミュニケーションであったために「目の前にセブンイレブンがある」という、「どこのセブンだよ」的なこと言われることが多々あったけれど、いまや FaceTime で自分や相手の周辺の情報を視覚的にも手に入れることができるため、それが相手にとっての既知のセブンであれば、何も言葉を交わさずとも迷子は解消される。</p>
<p>物を買うにあたっても、商品知識の希薄な店員しかいなければ、その場でメーカーの製品情報や口コミ情報を呼び出したり、同程度の価格の他の製品情報を検索したりして、今までよりもはるかに有利な状況での買い物ができるため、買って後悔という残念な結果を防げる可能性が高くなった。</p>
<p>これは逆にメーカーにとっては公開すべき情報がアクセシブルに Web で公開されていなければ、選択肢にすら上がらない場面が増えたともいえる。</p>
<p>もちろんこれらは極一部で、ひとの数とコミュニケーションの数だけシナリオは無数に考えられる。</p>
<p>そして既に多くの結果が示すとおり、この波は加速している。開発者にとってはモバイルファーストというコンセプトが徐々にデフォルトになって来つつあるし、それは一般消費者の世界でのデスクトップコンピュータの死すら予言している。</p>
<p>さらに、タブレットコンピュータの普及がそれを加速させている。</p>
<p>iPhone で旅行の写真や子供の動画を編集するのは流石に骨が折れる。けれど iPad ならそうでもない。むしろタブレットであれば、その画面を家族や友人とソファの上やコタツの中で簡単に共有できるという点で、それまでのデスクトップでの孤独な作業が一転、楽しい家族団らんのほんわかタイムに早変わりする。</p>
<p>iPad は物理的にはただのデカい iPhone だ（もし発表の順序が逆ならその逆だった）。けれどエクスペリエンスは全く別のものになっている。</p>
<p>もし Web の GUI やエクスペリエンスに関わるデザイナで、未だ<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/browse?ie=UTF8&amp;node=2152014051&amp;ref_=sr_tc_2_1&amp;qid=1322402540&amp;sr=8-2-tc&amp;ie=UTF8&amp;tag=yagatekanashi-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=7399">タブレット</a>を生活の一部として組み込めていないのなら、それは将来支払わなければならない大きな負債が日々増加している状況だといっても過言ではない。</p>
<p>そんなわけで Web はこれまでの「行く」空間から「常にそこ在る」空間へと変容している。手を伸ばせばそこにあるのだから、それはもう隣の部屋へ行くよりももっと近いものになっている。</p>
<p>変化はあらゆる部分に起こっている。そしてそれは<a href="/blog/2011/12/architecture.html">アーキテクチャの変化によって起きる</a>。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>Players</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/11/players.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.421</id>

    <published>2011-11-23T06:37:53Z</published>
    <updated>2011-12-28T14:22:35Z</updated>

    <summary>前回は歴史を振り返って Web の環世界の変化を追い、そこで呼吸するプレイヤの増...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="/blog/2011/11/umwelt-of-the-web.html">前回</a>は歴史を振り返って Web の環世界の変化を追い、そこで呼吸するプレイヤの増加と各プレイヤの環世界を分析することで Web が見えてくるんじゃないかという仮説を立てた（ちなみここでいう環世界は基の概念を大幅に拡張しているので、オリジナルとは異なる）。</p>
<p>そこで今の Web にはどういったプレイヤがいるのかを、大雑把にカテゴライズしてみる。</p>
<ul>
<li>アーキテクチャの策定 - W3C,IETF,ECMA 等</li>
<li>ブラウザベンダー - Mozilla,Microsoft 等</li>
<li>プラットフォームの設計 - Google,Twitter,Facebook,Amazon 等</li>
<li>情報発信 - 情報発信する主体としての企業、団体,ブロガー,SNS のユーザ等</li>
<li>法 - 政府,国に所属する国民等</li>
<li>情報受信 - エンドユーザ</li>
</ul>
<p>と、これらは相互に排他関係にない。情報発信するひとは同時に情報受信するひとだし、ブラウザベンダーは主体的にアーキテクチャに変化を促している。</p>
<p>また、アーキテクチャの策定は実装がなければ机上の空論に帰すため、絶対的なものではないし、設計は広く意見を求めているので、必ずしもトップダウンの押しつけにもなっていない。</p>
<p>エンドユーザをプレイヤと呼ぶのは躊躇われるかとも考えたけれど、エンドユーザはその利用によって無意識の表現をおこなっていて、エンドユーザの行動そのものが世界を形成するのだから、それが大きな意味を持っているということで、プレイヤという総称に問題はないと考えた。</p>
<p>じゃあそれぞれの環世界はどうなっているのか。それは重なっている部分もあれば互いに全く理解できない部分や、相反する利害関係にある部分もある。</p>
<h2>アーキテクチャの策定の環世界</h2>
<p>この世界にはふたつの目的がある。ひとつはデファクトスタンダードの標準化で、これは実質的に標準として使われている技術や制度の明文化になる。</p>
<p>もうひとつは新しく、相互に似た技術が出てきて、それらが互いに競合することが技術の発展を阻害し、大きな不利益をもたらす場合に、利害関係のない権威ある団体が、最適と思われる標準を提示することで、その混乱を解消し、進化を促すために行う。</p>
<p>つまり、この世界にはイノベーションという概念はほぼない。既にあるものがどう振る舞うべきかを決めたり、現在の世界でなにがおきていて、これからの世界に何が必要なのかを予測し、備えることで、混沌を防ぐことが目的になっている。</p>
<p>また、標準を策定するものの、それの強制はしないという意味で、法とは全く異なる。</p>
<p>人間に例えるなら、目と耳と鼻と、意思を伝達する口はあるけれど、手や足はないし、その口は誰かを口汚く罵るためではなく、理性的な判断が何なのかを伝えるためにある。</p>
<h2>ブラウザベンダーの環世界</h2>
<p>ここからは企業体が入ってくるので、市場原理が大きなウェイト占める。</p>
<p>非営利団体であっても、その目的が市場の要求に対して合目的的であるかが常に問われている。</p>
<p>もちろん非営利団体が市場原理だけで動いたのでは世界は無様で惨めなものになるので、その役割は非常に大きい。そういった意味でブラウザシェアの無視できない部分を Mozilla が占めているのはエンドユーザであるぼくらにとって非常に幸福なことだといえる。</p>
<p>そしてこの世界は人間に例えることができない。この世界はエンドユーザに何が見え、何が聞こえるのかを決めている。当然この世界には五感も四肢もあり、それら主体的に動き互いに争ってはいるが、むしろその結果としてエンドユーザがどういった知覚を得て、どういった作用空間を確保しているのかが大きな意味をもつ。</p>
<p>けれど別に神の世界ではない。というか競争原理が働いている限り神ではない。かつての IE6 のように 10 年近くも空白が産まれるというのは、市場原理による悪夢ではあるけれど、何を選ぶのかをエンドユーザが選択できるのであれば、健全な競争原理によって神に近い存在であったものもただのひとになる。</p>
<h2>プラットフォームの環世界</h2>
<p>ここでやっと実際にひとが生きている世界になる。ブラウザベンダーによってもたらされた知覚を基にビルや公園やレストランがあるような世界だといっていい。</p>
<p>各プラットフォームにはまたそれぞれのアーキテクチャがあり、それがエンドユーザにとっての制限になっているけれど、その制限によってこの世界は非常に便利になっている。文字をタイプするだけで発言が瞬時に公開できたり、誰か特定のひとにメッセージを送ったりできる。</p>
<p>この世界は幸福な独裁国家のようなもので、何ができて何ができないかは全てプラットフォームによって制限されている。同時に現実空間よりも民主制を体現している世界でもあり、そこでは誰でも（秘密警察の闊歩するような体制の国民でも、そこに辿り着けば）自由に発言でき、その発言はエンドユーザ内で相互に作用し、プラットフォームにも、現実世界にも影響を与えることができる。</p>
<p>この世界は肉体そのものだといっていい。血肉をもったエンドユーザが相互に関係し、作用し合うことで肉体自体も変わっていく。</p>
<p>だが同時に、仮に目や耳が塞がれていても、それに気づく事すらできないという危険性も孕んでいる。</p>
<h2>情報発信する主体の環世界</h2>
<p>この世界は口でできてる。耳は非常に大きな音しか聞こえないし、目は光源をかろうじて知覚できる程度。</p>
<p>表現主体が何を表現したいか（自分が何を表現したのかすら分からない無思考な主体も多々存在するけれど）、それが多くを占めている。</p>
<h2>法の環世界</h2>
<p>この世界は他の世界にたいする影響そのもので、それのみといってもいい。</p>
<p>従わない者には罰を与えることができ、圧倒的な強制力を持っているため、他の世界とは全く異質のものになっている。</p>
<p>他の世界をつくり変えることすら可能であるため、安全弁でもあり、危険そのものでもある。</p>
<h2>情報受信の環世界</h2>
<p>この世界には他の世界に生きる全ての者と、どの世界にも生きない全ての者が共存し、交差している。</p>
<p>全体は非常に大きな力をもっていると同時に、個々は全くの無力でもある。</p>
<p>けれどこの世界は力には固執しない。それが大きな力になっている。</p>
<p>五感も四肢もあるけれど、どれも完全な制限下にある。同時にその制限を欲望によって解放もできる。正に個人の集合なのだから、考察は無意味。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>各環世界は同じものを見ても全く違うものをとして感じ取るため、そういった意味で完全に独立している。</p>
<p>けれど、それはただそのように知覚された世界が独立しているにしか過ぎない。相互に影響しあう。</p>
<p>問題は閉じた世界ではなくて、それらが干渉しあうことでどういう世界ができているのかにある。ただそれを考えるには、閉じた複数の世界を理解する必要がある。</p>
<p>では、次に<a href="/blog/2011/11/ubiquitous.html">現在の Web はどのように変化しているのか</a>を考えてみる。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Web の環世界</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/11/umwelt-of-the-web.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.420</id>

    <published>2011-11-20T14:58:52Z</published>
    <updated>2011-11-23T09:18:12Z</updated>

    <summary>おもしろいテーマをみつけたので「Web とは何か」というのを、環世界という視点か...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Web とは何か" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>おもしろいテーマをみつけたので「Web とは何か」というのを、環世界という視点から考えてみる。</p>
<blockquote cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C">
<dl>
<dt><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C">環世界</a></dt>
<dd>環世界（かんせかい、Umwelt）はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。環境世界とも訳される。すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。</dd>
</dl>
</blockquote>
<p>環世界とは、誤解を恐れず平たくいうと、生物が知覚・作用できる世界によってその生物の世界はできあがっているということになる。気になる方は『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003394313/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;tag=yagatekanashi-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4003394313">生物から見た世界</a>』を読んでください。</p>
<p>とりあえず今回はプロローグなので、超速で歴史を振り返ることから初めてみる。</p>
<p>さて、インターネット、というかコンピュータそのものにしても、ユーザが利用できるものや、サービスは日々変化している。初期のコンピュータは線を繋いだり引っこ抜いたりして演算を行っていたらしいし、それからしばらくは CUI で対話し、パンチカードでプログラムを走らせていたという。マッキントッシュが GUI を一般消費者にも利用できるようにした当初は、きっと動画の再生なんてできなかっただろう。</p>
<p>Web にしても、最初はほんとうに文書だけのものだった。画像はハイパーリンクを利用して、別ウィンドウで表示していたらしい。だからこそ文書構造マークアップのための言語として最初の HTML は設計された。</p>
<p>しばらくして文書と画像を同時に表示できるブラウザが登場し、さらに JavaScript でインタラクティブな要素が追加される。第一次ブラウザ戦争でそれは加熱し、より豊かな視覚表現、よりインタラクティブな表現のための各社の独自実装を経て、マイクロソフトはネットスケープ社に勝利し、安定と停滞の時代を迎える。</p>
<p>Web の進化はそこで一旦完全に停止する。迂回ルートとしてマクロメディア社は Flash を提唱。それは現在の Web の方向を指すひとつのコンセプトモデルになった。それから数年後、暗黒時代に終わりを告げる Firefox が華麗に登場し、さらに Ajax が提唱されることで、それまで停止していた Web は、再び進化を始める。</p>
<p>さらに W3C に業を煮やした WHATWG による HTML5 の登場。そしてその進化を加速させるために Google は Chrome を市場に投入。デバイスではアップルが iPhone によるエクスペリエンスの革命を起こすことで Web はそれまでものとは全く異なる生態系を産み出し初めている。</p>
<p>と、随分端折ったけれど大方こんな感じで変わってきたはず。</p>
<p>それで何がいいたいのかというと、要は Web で知覚できるものは常に、現在進行形で変化している。同時に、ユーザーが作用できるもの、また作用の仕方も変化している。</p>
<p>表現できる色数は増え、音声、動画、立体表現も可能になっている。始めは犬のように色のない環世界で生きていた生き物が、ある日、色を知覚できるようになった。音を知らなかった生き物が、ある日耳を持った。それまで平面処理されていた視覚からの刺激が、ある日を境に三次元空間として知覚できるようになった。</p>
<p>つまり、環世界が変化している。</p>
<p>同時に、当初はひとつであった環世界が、現在では複数存在する。</p>
<p>初期の段階では一部のマニアのものであったものが、コンピュータの一般家庭への普及によってより多くの一般消費者の生活の中に溶け込んでいった。それを察知したマーケティングは Web を広告ツールとして利用し、さらに膨らみ続けるマーケットに商機を感じた起業家たちが参入。</p>
<p>それから子供たちへの教育上のリスクを叫びながらの政府の侵入。政府は高度化し、もうひとつの世界になっていた Web の脅威に対し法による規制を開始。</p>
<p>ジャーナリストやアーティストはプロ（営利）、アマチュア（非営利）を問わず表現の場を拡大している。もうここでは政治闘争も随分前から始まっており、現実の国家権力転覆の一翼を担うことすら可能になった。</p>
<p>当然彼らは別々の環世界に生きている。政府からみた Web と 革命家からみた Web は 180 度逆の意味を持つ。政府の作用空間と、革命家の作用空間は異なる。同じものを見ても立場が違えば、異なる反応を起こす。</p>
<p>「Web とは何か」この質問に応えるには、それぞれの環世界において、<a href="/blog/2011/11/players.html">各々が何を知覚し、何に作用しているのかから考えないといけない</a>。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>モバイル版 Flash Player の開発中止から考えるキャリアプラン</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://vosegus.org/blog/2011/11/career-plan.html" />
    <id>tag:vosegus.org,2011:/blog//2.419</id>

    <published>2011-11-12T13:46:18Z</published>
    <updated>2011-11-20T10:26:50Z</updated>

    <summary>発表されてからいろんなところで鳥の目からのはなしは多々でているので、今更ぼくごと...</summary>
    <author>
        <name>toshimitsu</name>
        
    </author>
    
        <category term="Webマーケティング" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="think" label="Think" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://vosegus.org/blog/">
        <![CDATA[<p>発表されてからいろんなところで鳥の目からのはなしは多々でているので、今更ぼくごときが何を書くのかと思われるかもしれないけれど、そこは勿論、虫の視点からのはなし。</p>
<p>ちなみにぼくは ActionScript はよくわからないひとで、前に<a href="/labs/Flash/weather.html">天気予報 API をつかって</a>試しでつくったきり特に進歩せず（ちなみに天気予報 API は試用期間が終わっているので今はローカルの XML でそれっぽく動いてるだけです）、実際 onEnterFrame の挙動に今でも頭をひねるレベルで、言語がどうとかいうはなしは全くできないので、スキルに対する投資効果とか、投資に対するリスクとか、その辺で思ったことを書いてみる。</p>
<p>よく言われるのは、特定のベンダーに依存した技術に対する投資リスクは、オープンな技術より高いというやつで、これは最初から分かっていたことで HTML5 が話題になった頃にはもう一部の Flasher さんはいろんなところに分散投資を初められていたので、今更何もいうことはない。</p>
<p>じゃあ ActionScript のテクニックが役に立たないのかというと、別にそんなことはなく、むしろ HTML5 で RIA が活発になっていくほど ActionScript のロジックを応用できるというメリットがある。</p>
<p>なので問題はベンダーに依存した技術がリスクが高いというよりも、その言語のもつ広義の視点、つまり設計思想や、それに基づいたロジックの構築の仕方を理解せず、ただ漫然とベンダーのクローズドな世界のローカルルールで生きるということがハイリスクだということに過ぎない。</p>
<p>それはオープンな技術でも同じで、例えばリレーショナルデータベースを概念として理解しようとせず、ただ MySQL が使えますというのもリスクの高さは変わらない。それは JavaScript でも PHP でも、そして HTML でも変わらない。</p>
<p>HTML の内包を理解しておけば、別に HTML5 になろうが 6 になろうが「ああ、セマンティクスが強化されたのね」でだいたい済む。タグがいくら追加されようと、もともと構造化に足りない語彙が追加されたのだから、こちらとしては願ったり叶ったりという部分のほうが多い。</p>
<p>HTML5 CSS3 で再投資が必要になってくるのは、新しいタグを覚えるとか、新しいセレクタとプロパティを覚えるとか、そんなことじゃあない。そんなものはモデルだけ覚えておいて、後は使う時に調べてれば厭でも自然に覚えてくる。</p>
<p>そうではなく HTML5 というバズワードの中に含まれる新しいコンセプトと、それに伴うビジネスモデルの変化に対応するスキルに再投資をしないといけない。</p>
<p>これは技術的な職能だけじゃなくて、当然 Web ビジネスに関係するあらゆる職能にあてはまる。見誤るか、ぼんやりしてると残念な状況にもなりかねない。</p>
<p>まあ HTML5 のはなしは本題ではないのではなしを戻すと、投資効果の高いものは汎用性の高い、つまり抽象度の高い部分になってくる。</p>
<p>ただ抽象度が高いものは、実際の仕事は概念だけで行うものではないので、そういった意味で役に立たない。けれど同時にその部分の理解がないと、スキルは頭打ちになるし、言語が開発中止になった場合にはもうまるで役に立たないことにもなりかねない。</p>
<p>まあそんなわけで、最近いろんなことに気づかされて、失敗したなって思う事が多く、足掻いている今日この頃。</p>]]>
        
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