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  • 2011-12-08

ソーシャル Web はソーシャルメディア。ソーシャル化に乗り遅れた企業は滅ぶという言説まででているのだけれど、ちょっと待ってほしい。企業は元来社会的にしか存在し得ないものだし、他のあらゆるメディア、テレビもラジオも新聞も雑誌も、そしてもちろん Web も、元々ソーシャルをコンセプトの中核に置いて出来上がっている。なによりソーシャルでないメディアなんて、メディアとは呼べやしない。

ではなぜ今になってまたソーシャルが騒がれているのだろうか。そこにはきっと、新しいソーシャルのコンセプトと、前回書いたような意味でのアーキテクチャの変化があるに相違ない。

ソーシャルとはどういうことか

ソーシャル、つまり社会とは何か。この認識なしにソーシャルは語れないはずだ。

ソーシャルとは平たくいうと、人間関係の関係と関係により変化するものを一般化した抽象概念だと思う。

例えば世界に二人の人間しかいなかったとする。この二人だけの関係は社会的な関係と呼ぶには心もとない。

そこに双方の両親や友人が存在して、その二人の関係が、二人以外の誰かの言動によって変化する可能性をもった時、この関係は社会的な関係と呼ぶに十分なものになる。

また、ひとは独りでは生きていけないという。これはもちろん嘘だ。自然の恩恵と強靭な肉体、それに明晰な頭脳があれば、獣に喰われたり毒をくらって死ぬことはあるけれど、運がよければ十分生きていける。

けれど、ひとは独りでは人としては生きていけない。

つまりひとは、他人を通じて自己を発見し、再発見し続けることで、初めて人間になる。

社会がなければひとは獣と変わらない。内省することもなく、ただ喰って寝て、うんこをして生きるだけだ。

これはこれで十分な生だけれど、そこに社会という他人との関係の中での自己を見つける事ができれば、人生はもっと豊かで楽しく、そして悲惨なものになる。

社会とは関係の関係と結果で、過程でもある。

つまり Web はそこに新しい関係の可能性。干渉や相互作用の可能性を産み出した。これがつまり、今流行のソーシャル Web になる。

ではこの新しい関係の可能性、それは一体何だろうか。そしてそこにはどんなアーキテクチャがあり、何をもって新しいコンセプトと呼ぶべきなのだろうか

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