そんなわけで Web はその利用環境も利用のされ方も変わっていて、その変化は今後も益々加速していく。
ひとが多く関わる程、必ずトラブルは増加する。経済活動が拡大していけば、法による規制、合意等も必要不可欠なものになっていく。それは消費者の保護でもあり、同時に、保護は監視・管理の強化でもある。
利用環境、利用方法の変化。そして法による保護・監視。これらは、アーキテクチャの変化によって起こり、促進される。
しかしここまで普及したのだから今更 TCP/IP や HTTP 等が置き換わるのは考えにくい。また、これらはアーキテクチャというよりも、むしろ元素に近い。これらは別の何かと組み合わせることで、より大きな自由を手にする事も、レイヤーを重ねたり、フィルタを通すことで、より完全に近い保護や監視も可能にする。
ではそもそもアーキテクチャとは何なのか。そしてアーキテクチャの変化とは何なのか。
アーキテクチャの日本語訳
アーキテクチャは日本語では設計思想と訳されることが多い。これはものをつくる人間にはなんとなく想像し易い翻訳だけれど、このなんとなくというのは非常に危険を伴う。
なんとなく想像しているだけのものは共有しているとは言い難い。お互いの概念のズレは、このなんとなくという段階で話を掘り下げていく程、益々広がっていく。
では、アーキテクチャは何と翻訳されるべきなのだろう。ローレンス・レッシグの「CODE VERSION 2.0」に書いてある内容をぼくなりに解釈すると、アーキテクチャは"設計空間の物理法則"となる。
リアルには重力がある。壁をすり抜けることはできないが、そこにドアがあればそれを開いて壁の一部を通り抜けることができる。
物理法則とはその世界を支配し、その世界の住人はそれに従うことで生きている。というより、むしろその法則があるからこそ存在できているといっていい。もし地球から重力が消えれば、人間は宇宙の藻屑となって死んでしまう。
つまりアーキテクチャとは、そこに存在するものの在り方それ自体を定義している。
以前、「アーキテクチャから逸脱したものが組み込まれれば、そこからその世界は崩壊していく」といっていたひとがいた。これはこの定義に依れば当たり前のことのように納得できる。
アーキテクチャは物理法則なのだから、その場しのぎの抜け道をつくったところで、世界は気づくと気づかないとに関わらず、いずれ壊れてしまうか、そこで生きるものは全て死に絶え、やがては消えてなくなってしまう。
アーキテクチャの変化
リアルの物理法則は変化しない。それは完全にではないのかもしれないが、せいぜい人の一生程度の時間では何も変わらないだろう。
だが Web のアーキテクチャは変化し続けている。
今話題の HTML5 などは、正にアーキテクチャの変化といえる。サイバースペースでは、アーキテクチャを変化させれば、宇宙を飛ぶことも、地中に潜る事も容易に可能になる。
何が見えて何が見えないか、触れられるものも、聞こえるものも、全てアーキテクチャによって決定されている。
現在の変化をひとつとりあげるなら、それは位置情報という文脈が加わったことだろう。
今、自分が地球上のどこにいるのかを、何の気なく手のひらで確認できる。
リアルの地理情報は Web 上にマッピングされ、どこに何があるのか、その一部を Web は知っている。エージェントに質問をなげかければ、瞬時に位置文脈を理解した返答がかえってくる。
つまり現代人は、宇宙からの目を、手のひらに持っているということになる。これは人類の肉体だけでは持ち得なかった、環世界の拡大といえる。
古くからひとは道具によってリアルのアーキテクチャの一部を操作してきた。だがそれは作用空間に対するものが主で、知覚に対するものは、眼鏡等、五感の拡張、補完というものだった。
コンピュータ、そして Web は、そこに別の可能性、全く未知の知覚空間をつくりだそうとしている。
肉体がある以上知覚には限界がある。けれどマルチモーダルによる全く新しい第六、第七の知覚空間を擬似的つくり出す可能性は既に模索され、徐々にその一部が一般のぼくらにも触れられるようになりつつある。
アーキテクチャの変化によって、なにができるのかではなく、なにが起きているのかを常に考えておかなければ、その変化を理解することはできない。
それが目にはドットの集まりでも、例えビットの集合であったとして、そこには別の世界があり、アーキテクチャがある。いってしまえばリアルなど、人間とは別の次元の知覚や知性を持った生物にとっては、原子の散在した歪な空間でしかないのかもしれないのだから。
今では Web のアーキテクチャの変化は社会に変化をもたらし始めた。その社会の変化とはどういったものだろうか。