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  • 2011-11-23

前回は歴史を振り返って Web の環世界の変化を追い、そこで呼吸するプレイヤの増加と各プレイヤの環世界を分析することで Web が見えてくるんじゃないかという仮説を立てた(ちなみここでいう環世界は基の概念を大幅に拡張しているので、オリジナルとは異なる)。

そこで今の Web にはどういったプレイヤがいるのかを、大雑把にカテゴライズしてみる。

  • アーキテクチャの策定 - W3C,IETF,ECMA 等
  • ブラウザベンダー - Mozilla,Microsoft 等
  • プラットフォームの設計 - Google,Twitter,Facebook,Amazon 等
  • 情報発信 - 情報発信する主体としての企業、団体,ブロガー,SNS のユーザ等
  • 法 - 政府,国に所属する国民等
  • 情報受信 - エンドユーザ

と、これらは相互に排他関係にない。情報発信するひとは同時に情報受信するひとだし、ブラウザベンダーは主体的にアーキテクチャに変化を促している。

また、アーキテクチャの策定は実装がなければ机上の空論に帰すため、絶対的なものではないし、設計は広く意見を求めているので、必ずしもトップダウンの押しつけにもなっていない。

エンドユーザをプレイヤと呼ぶのは躊躇われるかとも考えたけれど、エンドユーザはその利用によって無意識の表現をおこなっていて、エンドユーザの行動そのものが世界を形成するのだから、それが大きな意味を持っているということで、プレイヤという総称に問題はないと考えた。

じゃあそれぞれの環世界はどうなっているのか。それは重なっている部分もあれば互いに全く理解できない部分や、相反する利害関係にある部分もある。

アーキテクチャの策定の環世界

この世界にはふたつの目的がある。ひとつはデファクトスタンダードの標準化で、これは実質的に標準として使われている技術や制度の明文化になる。

もうひとつは新しく、相互に似た技術が出てきて、それらが互いに競合することが技術の発展を阻害し、大きな不利益をもたらす場合に、利害関係のない権威ある団体が、最適と思われる標準を提示することで、その混乱を解消し、進化を促すために行う。

つまり、この世界にはイノベーションという概念はほぼない。既にあるものがどう振る舞うべきかを決めたり、現在の世界でなにがおきていて、これからの世界に何が必要なのかを予測し、備えることで、混沌を防ぐことが目的になっている。

また、標準を策定するものの、それの強制はしないという意味で、法とは全く異なる。

人間に例えるなら、目と耳と鼻と、意思を伝達する口はあるけれど、手や足はないし、その口は誰かを口汚く罵るためではなく、理性的な判断が何なのかを伝えるためにある。

ブラウザベンダーの環世界

ここからは企業体が入ってくるので、市場原理が大きなウェイト占める。

非営利団体であっても、その目的が市場の要求に対して合目的的であるかが常に問われている。

もちろん非営利団体が市場原理だけで動いたのでは世界は無様で惨めなものになるので、その役割は非常に大きい。そういった意味でブラウザシェアの無視できない部分を Mozilla が占めているのはエンドユーザであるぼくらにとって非常に幸福なことだといえる。

そしてこの世界は人間に例えることができない。この世界はエンドユーザに何が見え、何が聞こえるのかを決めている。当然この世界には五感も四肢もあり、それら主体的に動き互いに争ってはいるが、むしろその結果としてエンドユーザがどういった知覚を得て、どういった作用空間を確保しているのかが大きな意味をもつ。

けれど別に神の世界ではない。というか競争原理が働いている限り神ではない。かつての IE6 のように 10 年近くも空白が産まれるというのは、市場原理による悪夢ではあるけれど、何を選ぶのかをエンドユーザが選択できるのであれば、健全な競争原理によって神に近い存在であったものもただのひとになる。

プラットフォームの環世界

ここでやっと実際にひとが生きている世界になる。ブラウザベンダーによってもたらされた知覚を基にビルや公園やレストランがあるような世界だといっていい。

各プラットフォームにはまたそれぞれのアーキテクチャがあり、それがエンドユーザにとっての制限になっているけれど、その制限によってこの世界は非常に便利になっている。文字をタイプするだけで発言が瞬時に公開できたり、誰か特定のひとにメッセージを送ったりできる。

この世界は幸福な独裁国家のようなもので、何ができて何ができないかは全てプラットフォームによって制限されている。同時に現実空間よりも民主制を体現している世界でもあり、そこでは誰でも(秘密警察の闊歩するような体制の国民でも、そこに辿り着けば)自由に発言でき、その発言はエンドユーザ内で相互に作用し、プラットフォームにも、現実世界にも影響を与えることができる。

この世界は肉体そのものだといっていい。血肉をもったエンドユーザが相互に関係し、作用し合うことで肉体自体も変わっていく。

だが同時に、仮に目や耳が塞がれていても、それに気づく事すらできないという危険性も孕んでいる。

情報発信する主体の環世界

この世界は口でできてる。耳は非常に大きな音しか聞こえないし、目は光源をかろうじて知覚できる程度。

表現主体が何を表現したいか(自分が何を表現したのかすら分からない無思考な主体も多々存在するけれど)、それが多くを占めている。

法の環世界

この世界は他の世界にたいする影響そのもので、それのみといってもいい。

従わない者には罰を与えることができ、圧倒的な強制力を持っているため、他の世界とは全く異質のものになっている。

他の世界をつくり変えることすら可能であるため、安全弁でもあり、危険そのものでもある。

情報受信の環世界

この世界には他の世界に生きる全ての者と、どの世界にも生きない全ての者が共存し、交差している。

全体は非常に大きな力をもっていると同時に、個々は全くの無力でもある。

けれどこの世界は力には固執しない。それが大きな力になっている。

五感も四肢もあるけれど、どれも完全な制限下にある。同時にその制限を欲望によって解放もできる。正に個人の集合なのだから、考察は無意味。

まとめ

各環世界は同じものを見ても全く違うものをとして感じ取るため、そういった意味で完全に独立している。

けれど、それはただそのように知覚された世界が独立しているにしか過ぎない。相互に影響しあう。

問題は閉じた世界ではなくて、それらが干渉しあうことでどういう世界ができているのかにある。ただそれを考えるには、閉じた複数の世界を理解する必要がある。

では、次に現在の Web はどのように変化しているのかを考えてみる。

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